イノベーションという言葉が頻繁に使われます。特に技術者、エンジニアにとってはイノベーションを発明と捉えて、何か新しい技術を開発して会社に貢献したい、あるいは世の中にない製品を作って独立したいという風に考えるかもしれません。
でも、実は画期的な新規技術だけがイノベーションとは限りません。
クレイトン・クリステンセンの「イノベーションのジレンマ」は、たいへん有名な本なので読まれた方も多いと思いますが、この中で事例として使われているのがハードディスク業界の変化についてです。8インチ⇒5インチ⇒3.5インチという変遷が、メインフレーム⇒PC⇒ノートPCというダウンサイジングとともに、今考えると必然的に進歩してきたわけですが、当時の当事者たち、つまり8インチのディスクドライブ市場の勝者は、8インチの世界で顧客の要望に注意深く耳を傾けることに全力を傾け、小さな持続的イノベーションを続けました。そうしている間に、市場にしがらみのない新興勢力が作った5インチのディスクドライブで、市場そのものを破壊されてしまったと説明しています。つまり、大企業ほど顧客の言うことを聞きすぎるあまり、既存市場での一歩一歩の進歩を重んじすぎて市場環境の急激な変化に気付かずに、そのすきに新興企業が作ったすぐには売れないかもしれない新たな商品で、やがて来るコンピューター機器そのもののダウンサイジングと連動して土台からひっくり返されてしまったということです。
当然、8インチから5インチへの進化には、いろいろな技術革新があったはずです。でも、いわゆるまったく新しいモノを作ったわけではなく、既存顧客も気付かないパラダイムシフトに同期したことが、この場合の「破壊的イノベーション」になるわけです。
Airbnbやウーバーという新興企業が急速に大きくなった話しは最近とても有名ですが、ここでのイノベーションは何だったのでしょうか?何か新しい技術や発明はありますか?
実はここでのイノベーションは常識を破ったことではないかと私は考えています。
空き家を借り上げて使いたい人に提供する。誰が安全を保証してくれるのか。どこの会社に所属してるかわからない人の車に乗る。悪い人だったらどうするのか。
マッチングとしてニーズがあることは誰でもわかりますが、普通の人であれば常識が先行してしまって、事業として成り立たないと思い込んでしまいます。そこに評判、口コミといった情報をセットにして、サービス提供側にもサービスを受ける側にもメリットをもたらしたわけです。これが世の中を大きく変えるイノベーションになったということです。
前述のハードディスクの世界でも、経営者としては毎年、あるいは毎月の売り上げ、利益を高めることが第一優先であって、しかもその先の将来ですら、既存事業の顧客が教えてくれるはずと思い込み、顧客だけを注視することで戦略を立てて進めてきたはずです。つまり、経営者の常識、顧客の常識がひっくり返ることを想定できなかったということです。
「リーン・スタートアップ」エリック・リース著では、シリコンバレーでのスタートアップの成功例を示しながら、限られた資金でどうやってスタートアップを成功させるかという成功のプロセスを示してくれます。ここで言っていることは、市場に提案したいイノベーションの種を、その種の市場検証をする最低限の構成のプロトタイプ(MVP)によって市場検証を行い、顧客からのフィードバックを繰り返しながら、本当に市場が受け入れてくれるヒット商品を生み出してく、というものです。
この本を読んで、実は誤解する人が多いのは、顧客がイノベーションを教えてくれる、あるいは顧客がそのヒントをくれる、と思ってしまうことです。
ハードディスクでも証明されたように、実は顧客はイノベーションを教えてはくれません。顧客から得られるのは、Yes or Noの答えだけです。そのMVPにお金を払うつもりがあるかどうかを実際の行動で見せてもらう、というのが「リーンスタートアップ」で教えてくれることで、このプロセスの最大のテーマは、「失敗してもいい、でも失敗だったら早く気付いてやり直しなさい。」ということなのです。初めのアイデアがダメなものはいくら攻めてもダメな場合が多いです。スタートアップは大企業と違って資金がありません。少ない資金で成功確率を高めるためには、失敗しても早く立ち直る、ということしかないわけです。「リーンスタートアップ」は魔法のツールではありません。
ただし、誤解しないで欲しいのは、私は顧客を軽視しろと言ってるのではありません。マーケティングのところで述べたように、今後のマーケティングは、顧客といっしょに新しい価値を作っていくようになると思います。でも、これは顧客に頼るということではなく、顧客が現場で何を考えて、どんな行動をするかを知る、あるいは観ることから、私たちが考えて新しい価値を作っていくことなのです。エスノグラフィーによってイノベーションを起こそうとする考えがあります。簡単にいうと、顧客の行動観察から顧客の潜在ニーズを見つけてイノベーションを起こしていくことなのですが、これも顧客に直接ニーズは何ですか?と聞くわけではありません。聞いて教わったことは、誰もが知ってるニーズです。隠れているもの、常識を超えたところにあるものを探すということです。
クリステンセンが、別の論文「イノベーションのジレンマへのチャレンジ」(ハーバードビジネスレビュー Best10論文に掲載)で非常に興味深いことを言っています。
持続的イノベーションだけでなく、破壊的イノベーションを起こしていくためには組織能力を高めなければいけないが、組織能力(経営資源、プロセス、価値基準)の中で、特にプロセスと価値基準は大企業ほど柔軟性がない。つまり、大企業の破壊的イノベーションの邪魔をしているのは、プロセス、価値基準であってという「イノベーションのジレンマ」での主張を繰り返したうえで、大企業が新たな事業を起こす、つまり破壊的イノベーションを起こす方法は、
- 新たな組織構造をつくる
- スピンアウトにより新たな組織能力をつくる
- 買収によって組織能力を獲得する
のいずれかしかない、と言い切っています。でも、この場合でも、現コアの判断基準でないプロセスを構築すること、CEO(トップ)自らが先頭に立つことが不可欠だとも言っています。
また、買収する場合でも、組織能力の中の、経営資源を買うのか、あるいはプロセス、価値観を買うのかを明確にして進めることが必須だとも言っています。
この話を、今の日本の大企業の経営陣がどれくらい理解できるか、理解して行動に移せるかが問題だと思いますが、見回してみる限り、こういう所に思い切った手を打っている会社はあまり見受けられませんね。
先の「リーンスタートアップ」ではありませんが、ここに少しでもチャンスがあるなら、小さな実験をして試してみて、効果があったら一気に進めるというのが、イノベーションを起こすための経営だと私は思います。